Vtuberに対するスタンスの整理

どうもshavaです。

 

 

今回はVtuberについてのお話です。

簡単に言うとお気持ちブログです。

最近抱いてる感情を整理するための完全なる自己満足の駄文です。

 

 

Vtuberを楽しく見てる人はもしかしたら不快に思う内容かもしれません。ごめんなさい。

ただ、Vtuber自体を批判しているわけでは全くないです。僕もVtuberは好きです。某メンバーシップ入ってるぐらいには。

 

 

 

内容としては

1, 現在のVtuberを全肯定する風習

2, 「転生」について

 

この2つについて自分の考えをまとめたいだけのブログです。読んで何言ってんだコイツってなったら無視してください。

 

 

 

1, 全肯定

まずはこれです。具体的に何かと言われると

「〜できてえらい!」というような構文です。

 

最も使われる例としては、配信時間に寝坊した時に「よく寝れてえらい!」というようなリプをするやつです。

 

これ、冷静に考えておかしいんですよね。狂ってるとまで言ってもいいです。

Vtuberというのは娯楽ではありますが、あくまで「仕事」です。

皆さん学校、仕事に遅刻したら怒られますよね。常識的に考えて当たり前のことでしかないわけです。

 

「大丈夫だよ気にしないで」とか

「反省して次頑張ろう!」とかのリプは納得です。失敗に対する励ましの言葉なんで。

 

 

ただ、「よく寝れてえらい」はやばいです。寝坊って良くないことなんですよ。それを完全に問題ないこととして扱おうとしてるのがやばいです。

 

これはまあまあ軽いもんですが、この手の全肯定が他のことに対しても平然となされているのが今のV界隈に見えてしまいます。

推しなら何してもいいとは僕は思えません。

 

 

 

言っちゃうと某赤い人がゲロ吐いたことに関することですね。配信中に吐く、これは間違いなく悪い行為です。

心配されることではありますが、責められても何の文句も言えません。食べ物を無駄にもしちゃってるわけですしね。

 

 

で、これに対する本人とリスナーの対応の仕方が僕が違和感、気持ち悪さを感じたところです。

 

 

すぐに吹っ切れたなどと言い、こんなことで離れるリスナーではないというような囲いを過信するようなツイート。

それに対する惚れた等のリプ。

さらに叩かれたことに対する開き直り動画、アンチ共へというサムネ。

 

 

 

 

あまりにも閉ざされた都合のいい世界です。

苦言を呈したら即アンチ認定されるの怖過ぎんだろ

 

 

 

ここで似たようなものを思い浮かべます。

オタサーの姫とかいう文化です。

オタクが集まるとこにナオンさんが1人いると囲いが形成されるアレです。

実際に今も存在するのかは知らないですし、オタク内ですら蔑称として使われることが多いですが、対象が現実からVtuberに変わっただけで、構図は同じだと思うんですよね。

 

 

あとはVになる前に生主だった人が多いのも、今のVが生主文化になっている一因かもしれません。

元々生主だった人がスーパーチャットという直接的な貢がせる手段を片手にVの世界に飛び込んでくるわけです。(言い方はとてつもなく悪いですが許せ)

そりゃ囲いみたいなもんになりますよね。

 

 

 

 

 

 

 

こうはなりたくはないなというだけのお話でした。(うまい結論見つからんかったから見つかったら更新します)

別に悪いって言ってるわけではありません。

僕個人が気持ち悪いって感じるだけなので。

それが面白い人には面白いし、たかが娯楽ではあるので面白いと感じられるのが一番だとも思いますから。

 

 

2, 転生

次に転生云々に関するお話です。こっちの方がどっちかというと読んでほしいかもしれません。

 

個人to企業

企業to個人

企業to企業

まあ色々ありますね。

Vtuberを見てる人ならどれかは聞いたことはあるのではないでしょうか。

 

某麻雀の人とか某ゲーム部の人とかが代表例ですね。

 

タブーみたいな扱いではあるので直接的に言う人は少ないですが、転生Vは実際数多く存在します。

 

 

で、転生前を推してたリスナーが転生後も推すパターンもかなり多いです。

そこで僕はそうなれなかったという話をさせてもらいます。

 

 

 

その昔僕はとある個人Vを推していました。

キャラデザも可愛く、優しい感じの声のぽわぽわした子でした。

高評価した動画の欄に「この動画は非公開です」が今でも残ってるぐらいには好きでした。

 

 

 

 

1年と少し前、そんな子が「他にやりたいことができました」と言って卒業しました。

まだ大学生だと言っており、勉強を頑張っていたようだったのでそちらに専念するのかなあと考えたりして見送りました。

 

 

 

そして数ヶ月後、とある切り抜きが流れてきました。某企業の新人の切り抜きでした。
そこで思います。「この声きいたことあるな?」と。
そこで止まっていた方が良かったかもしれません。笑い声を聞いた瞬間、完全に思い出してしまいました。ああ、この子は僕が推してた子なんだと。

 

 

 

気づいてしまった僕はそれについてTwitterで検索をしてしまいました。そこには「また会えて嬉しい」というような意見がいくつか見られました。

 

ただ僕は完全に嬉しいとは思えませんでした。

気づいた後いくつか配信を見はしましたが、どこか消えない違和感を感じて昔のように推す気にどうしてもなれなかったのです。

後にゲーム部でも同じことがありましたが同様でした。

 

 

 

 

ここから気づいたことを書きます。

簡単に結論から言いますと、僕はVtuberをあくまでそのキャラクターとして推しているということです。

 

 

 

転生したその時点で前世の設定、記録はチャンネル動画全削除という形で、文字通り全てなかったことにされます。

それがかなり堪えることだった。

自分の推してた頃の記録は自分の記憶にしか残らない。

でも今、あの子は間違いなく楽しく配信している。

それがなんとも言えない、だけれど悲しいとは明確に違う複雑な感情を思い起こさせる。

 

 

僕が推してたあの子は卒業しました。言い方を変えると僕の中であの子はもう死んでいます。

今元気に配信している声が同じあの子は同一人物ではありながら、間違いなく違うキャラクターです。

一般にどこまで重視されているかは知りませんが、僕にとって被ってるガワと名前という記号はかなり大切だったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

とまあこんな感じです。特にまとめもありません。マジで暇だったから書いただけです。

 

Vに限らず自分のコンテンツに対するスタンス考えてみるの結構楽しいですよ。オススメです。

読んでいただきありがとうございました。